賃貸の凄さ
これからもそう言い続けて、自分を大きくしていきたい。
そうすれば、時代が変わってもD産業はなくなりません。
会社がなくならなければ、なんとか食べていける給料はもらえるでしょう。
儲けたいとは思いますが、大儲けはしたくない。
これは「ええかっこしい」でいっているわけではありません。
自分に対する戒めです。
地域密着型で生きていこうとすれば、これは覚悟としてもっておく必要があると思います。
売上目標を設定し、去年より今年、今年より来年というように営業をしていく方法もあるでしょう。
でもぼくはあえてその方法をとりません。
目標を設定すると、お客様が金に見えてきてしまう。
これでは地域密着型の経営はできないと確信しています。
最後に本当の夢を。
ぼくには息子がいます。
でもあえて後を継いでほしいとはいいません。
喉元まで出かかっても言葉にはしないと誓っています。
息子には息子の人生があるし、会社には会社の未来があります。
多分ぼくはあと10年もすれば、会社を誰かに引き継いでもらって、その社長に雇ってもらい、もう10年ぐらい営業を続けるでしょう。
しかし会社を辞めればその後は会社と縁が切れてしまいます。
70歳ぐらいになって、会社の前を通ったとき、子ども達が会社のどこかのセクションにいてくれたらいいなと思います。
そのほうが会社に遊びに行きやすくなるでしょう。
これは親としては当然の夢だと思います。
ただし、具体的な目に見える目標ではありませんから、口にはしません。
ふっとそんなことを考えていた昨日のメモ帳にはこんなメモが残っていました。
避遁という言葉が好きです。
親と子、切れそうで切れない。
そうあれば、ほんとうに親と子。
いつか子と親。
公認会計士を目指し、1968(昭和43)年中央大学商学部に入学しました。
受験団体としてのクラブが大学にあります。
私は経営会計研究会に入部し、簿記の勉強から始めました。
当初、日商簿記3級を新入生に受けさせます。
私と鶴見君(現在公認会計士として東京で活躍中)の2人が不合格でした。
クラブの先輩たちから「歴代、我が研究会から、不合格者を出したことがない。」と言われ、大変怒られました。
私には、会計的な考え方は向いていないと即座に決め、アルバイトと遊びに没頭いたしました。
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